2009年04月19日

教育は連係プレー

昨日、仕事が終わってから転任してこられた先生と2時間弱話をしました。その先生は養・聾学校、定時制高等学校等での勤務経験があり、数々の修羅場をくぐってこられたような印象を受けました。

生徒指導については事務職員の永遠のテーゼだと僕は思ってます。生徒指導にどのようにかかわっていくか。

そんな質問をぶつけたら、「あなたとしての感覚を伝えたらそれでいいんじゃないかな。人によって感覚は違うわけだし。あと、即効性を求めない方がいいよ。人間なんてそんなに簡単に変われないし。5年先に『そういえばあの人、こんなことを行ってたなぁ』ぐらいできもちに残ればいいよ。投げかけてもうまく行く可能性は6割。あまり高くないよ。でも状況をつかまず、即効性を求めた指導は3割、いや、成功率はもっと下がる。」

といわれました。即効性を求めても仕方がないことがわかりました。それを聴いてなぜか少し安心しました。「変えなきゃ!」と思って焦る気持ちがへったからかもしれない。
生徒指導はやっぱり生徒理解から始まるみたい。怒鳴って言うことを聞かせる人がいるけど、それじゃあ子どもは面従腹背。心の中では舌出してるよね。
生徒のことを知る。興味をもつ。

なんか、そう考えるとちょっと教育が楽しくなってきましたw最近は以前よりも子どものことがきになる。

考え方がかわってきたからかもしれない。以前よりもずっと地元の母校に対して前向きだわ。変えたい。協力したい。って気持ちが強くなってきました。もう一昨年、去年のような失敗は絶対にしたくない。振り返って「何もしてあげられなかった」なんて思いたくない。

教職員も人間だから得手不得手がある。人間関係においても得手不得手がある。だったら適材適所で当たればいい。担任が苦手な人でも得意な分野はある。機械が苦手な人でも得意な分野はある。それらを統合的に考えて短所を補い合えばきっといい組織になる。

あとは教職員の人間関係。これがうまくいけば学校はきっとうまくまわる。ノミニケーションの大切さ。
食事や飲み会、福利厚生活動を共有した分だけつながりあえる。時にはぶつかり合うことも人間関係上は必要。そこから自分を表現することも大切だし、意見を戦わせないでそれ以上のものを作り出すのは不可能だから。

もっと生徒と接する時間を増やして生きたい。純粋にそう思った。今までにないことだ。


今日は終わっていない会計の監査を受けた。そのときに野球部の練習試合を見ることが出来た。その折に何人かの保護者さんと話しをすることが出来た。でも言葉の端々には顧問の批判が入っていたり学校批判が入っていたりというのが現状だった。

PTAはアウェイじゃない。ホームなんだ。


その感覚を本校に浸透させたい。一緒になって学校を変えていきたい。現に僕らの後輩、皆さんのお子さんは本校に来てるんだから。

明日のPTAの監査の前にはちょこっとでもそんな話が出来たらいいなぁ。批判的なだけの関係はもう終わりにしたい。そう思った。


終わってからは去年の3年生の保護者さんの何人かにお金を渡すために各地を回った。そこで、話す話題もなく一瞬でさよならするかと思ったら、意外と長いこと話をすることが出来た。それを楽しく感じる自分がいた。
地域を回るわけだから、もちろん知ったおじさんやおばさんにも声をかけられる。ちょっとしたはなしなんだけど、それらも心地よく感じた。回っている間に、浜で作業をしている祖母を見つけた。わかめほしをしていたが、よく考えたらもう何年も僕は手伝いをしていない。

情けなかった。つくづくそう思った。

一通り手伝った。一緒にいたおばには感謝されたが、本当はそれがあたりまえになっていない僕に問題があることは十分にわかっていた。

終わってから墓参りをして帰った。祖父の眠る墓の前では、「祖父が育ち、暮らし、眠るこの地だけれど、どこに魅力を感じてここに住んだのか。教えてほしい。…一生懸命生活してみないとそれはきっと分からないか」と自問自答したりした。


やってみないとわからない。一生懸命でないと見えない。

それを感じた。

以前安定していた自分のように、現状から何をどのように、どのような順番で変えていくか、整理していきたい。
posted by つださん at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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